小4の息子がADHDと診断されてから、私たちの日常は「学習」という名の戦場になった。学校から帰れば、山積みの宿題。机に向かわせても、鉛筆は空中で踊り、視線は窓の外をさまよう。「ねえ、ここ、わかってる?」私の声は、届いているのかいないのか。返ってくるのは、心ここにあらずといった返事か、あるいは「もうやだ!」という爆発的な反抗。毎日が、その繰り返しだった。
市販のドリルをたくさん買ってみた。書店に並ぶ「集中力アップ!」「苦手克服!」の文字に、何度希望を抱いただろう。でも、結果はいつも同じ。最初の数ページはなんとかこなすものの、すぐに文字の羅列に嫌気が差し、投げ出される。新しいドリルが、リビングの隅で埃をかぶっていくのを見るたび、私の胸には鉛のような重い塊が沈んだ。「また無駄にしちゃった…」「この子に合うものなんて、本当にないの?」
夜、息子が寝静まった後、私は一人、途方に暮れる。インターネットで「ADHD 学習」「集中力 向上」と検索する指が震える。「私がもっと、うまく導いてあげられれば…」「なぜ、こんなに苦しまなきゃいけないんだろう…」罪悪感と無力感が、津波のように押し寄せた。友達のママたちが「うちの子、塾で〇〇ができるようになったのよ」と話すのを聞くたび、笑顔の裏で、私だけが取り残されているような孤独を感じた。「息子は、このまま勉強が嫌いになってしまうのだろうか。将来、困らないだろうか。」そんな不安が、私の心を締め付けた。
ある日、息子がドリルを破り捨てて泣き叫んだ。「こんなの、面白くない!やりたくない!」その姿を見て、私はハッとした。これは息子の問題だけじゃない。私が、息子の特性を本当に理解しようとしていなかったのかもしれない。一般的な「頑張れ」や「きちんとやりなさい」が、彼には全く響いていない。いや、むしろ彼を追い詰めていたのだ。
「この子には、私の常識は通用しないんだ」。そう悟った時、私の心に小さな光が灯った。息子が文字だらけのドリルを嫌がるのは、ADHDの特性上、視覚的な刺激や即時的なフィードバックが少ないからではないか?スモールステップで、達成感を頻繁に味わえるような工夫が必要なのではないか?
そこから私の「探求」が始まった。ADHDの子どもたちの学習法について書かれた本を読み漁り、発達支援センターのセミナーにも参加した。そこで出会ったのが、「デジタル教材」という選択肢だった。最初は「ゲームばかりになるのでは?」という不安もあった。しかし、実際に調べてみると、息子の特性に合わせた、驚くほど多様な教材があることを知った。
視覚的に色鮮やかで、アニメーションが豊富。問題を解けばすぐに正解か不正解が分かり、小さな達成感が積み重なる。間違えても、しつこく文字で説明されるのではなく、別の角度から視覚的にヒントを与えてくれる。そして何よりも、一回の学習時間が短く区切られ、飽きる前に次のステップに進めるように設計されているものが多いのだ。
息子にいくつか試させてみた。「これ、面白い!」彼の口から、そんな言葉が飛び出した時、私は信じられない気持ちでいっぱいだった。今まで学習に対してあれほど嫌がっていた息子が、自らタブレットを手に取り、画面に集中している。最初は短い時間だったが、少しずつ、その集中力は伸びていった。
もちろん、デジタル教材が魔法の杖ではない。しかし、それは息子にとって、学習という険しい山を登るための、最適な登山靴と地図を見つけるようなものだった。私たちは、もう「頑張れ」とは言わない。代わりに、「どうしたらもっと楽しくなる?」と問いかける。そして、息子の「好き」や「得意」をヒントに、彼自身のペースで学びを進めていくサポートをする。
もし今、あなたが私と同じように、子どもの学習問題で孤独を感じ、途方に暮れているなら。もし、一般的な方法がうまくいかず、「私だけが…」と絶望しているなら。どうか、諦めないでほしい。あなたの目の前にいるお子さんには、その子に合った「特別な鍵」が必ずある。それは、従来の常識とは違う、新しい扉を開く鍵かもしれない。
デジタル教材は、その「特別な鍵」の一つになり得る。視覚的な魅力、インタラクティブな体験、スモールステップでの達成感。これらは、ADHDの特性を持つ子どもたちが、学習の楽しさを再発見し、自信を取り戻すための強力なツールとなり得るのだ。
「もうダメかもしれない…」そう思った瞬間から、新たな道は開ける。大切なのは、子どもの「できない」を責めるのではなく、その「なぜ」を理解し、共に解決策を探す旅に出ることだ。その旅の先に、きっとあなたと息子さんを待っているのは、笑顔と、未来への希望に満ちた、新しい学習の風景だろう。
